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現代視覚文化研究会51期会長REPO

現代視覚文化研究会51期会長、筑波大学情報学群知識情報・図書館学類3年 ロマノフ

はじめに

挨拶

皆さん、お疲れ様です.
現代視覚文化研究会51期会長のロマノフです.
本稿ではタイトルのとおり、私が会長として動いた一年間の所感を、気の向くままに書き連ねていこうと思います(つまり組織運営の方法論などではない).気になったところを”摘まみ食い”してほしい.
とは言っても、あまり触れられないこともあるので、出来る限りで…….

現在地

本稿を書き連ねているのは、2025年11月18日である.翌日19日には役員選出及び、会費回収のための全体総会(秋総会)が開かれ、私は無事会長職から退任できる予定である.楽しみだ(*‘▽’)

会長職の評価

先に重要そうなことを述べておく.現代視覚文化研究会(以下”げんしけん”)の会長職はとてもおすすめできるポジションだ.仕事内容はとても単純で、誰にでも出来る.にもかかわらず外部からは「あの”げんしけん″の会長なんですか⁉」と色々な意味でもてはやされる.デメリットはそれ以外のメリットが全く無いことだけ.魅力的だなぁ.

自己評価

私は “げんしけん”の会長を一年ほど務めたが、振り返ってみると「自分はいろいろやらかしたけれど、周りの優秀さに救われてなんとか形になった一年だった」というのが率直な感想である.特に会計とシステム長には感謝してもしきれない.
(役員メンバ、お世話になった方々、所々で助けてくださった方々、ありがとうございました.)

会長の仕事

責任を取る

「責任を取る」ってなんだよ.辞職すればいいのか?と問題が起こるたび(起こすたび)に思っていた.

頭を下げる

この一年は、20年の人生で最も多く「申し訳ありません」と頭を下げた年だった.ただ、あまり考えなくとも取り合えず「頭を下げて」おけば仕事になるのでコスパは良いなと感じた.

会を存続させる

最も大変な仕事だった.ただ、前述の通り、今年は周囲が優秀だったのもあり、なんとか達成することができた.

会内の仲介役

私は歴代の会長の中で仲介役という仕事については、最も上手くやれたんじゃないかと思っている.それは厳密には班同士や会員同士ではなく、「班・会員」と「役員」の間を繋ぐポジションの話だ.昨年度まではこの繋がりが希薄であるがために役員の対応が遅れるケースが多々あったために、私はこれを重視せざるを得なかった.ただ、この役回りは、ある意味で会員の動きを止める”ボトルネック”になってしまったところもあって、そこは反省点でもある.

班長MT

昨年度の私を含めた一部の役員メンバによって発案され、今年度から実施されたMT.年6回の予定が、(どうしてか)7,8回は行ったと思う.来年度からは、重い議題が無ければ、オンライン開催をしても良いと思う.
会長の立場から見れば”スイス方式”の議決を回避できる便利な場であったと同時に、私が所属していない班の活動を知れる楽しい場であった.

仕事を振る

昨年度、副会長を務めていた時に全く仕事が降ってこないことに疑問を感じていたが、その理由が判明した.それは「仕事を振る==会の判断を委ねる」に該当してしまうケースが多く、迂闊には出来ないことだからだ.その結果、議事録やSNS管理程度に収まってしまう.
ただし、今年度のシステム長は非常に優秀で、私の突発的かつ非効率な試案にも迅速に対応してくれた.ありがとう.

会則

(会則を参照出来ない方は雰囲気を感じ取ってもらえればと)

第7条 役員承認システム

私があまりにも保守的な考え方であるが故に生まれた(改訂された)会則.ただし、今年度に限って言えば多くの班が会外部との新たな繋がりを得たため、設定したことである程度のリスク管理効果はあったのではないだろうか.今年は約50件の承認が投げられたことを鑑みても、無駄ではなかったと思いたい.

第14条 班

まさか、私の代でこの条文を変更することになるとは.

第21条 会計の承認

散々確認するようにと通告してきたはずなのに、何故か破られてしまう会則.

第29条補足(第7章補足?) Discordの運用

どちらに対しての補足なのか分からない会則.この会則のおかげで、会長は就任早々仕事に取り掛からなければならない.
尤も、これが追加された経緯や理念は妥当なので、文句は言えない.

第31条 著作権

以前は「会員が会誌等に寄稿できるものは、未発表のものに限る。」という謎の一文が添えられていた.現在は削除済みである.

問題

内界・外界

サークルで発生する問題の$99.9$%は内部で発生する.今年は残りの$0.01$%に殴られた(泣).

タイミング

何故か今年度は問題が発生したとき、私は病に伏していることが多かった.
そのたびに

ちっ、誰だよ人がイラついているトキに電話かけてくるバカはよぉ~!(CV.藤田ことね)

の気分になった.

対応速度

先程も言った通り、私は保守的な性格をしているので、問題が起こっても直ぐに表立って動くようなことはしなかった(出来なかった).むしろ、そんな私を棚に上げてX(旧Twitter)で暴れている対応策を話し合っている人たちを見ては、問題をあまり外に広げないでくれと願っていた.
必然とワンテンポ遅れた対応になるわけだが、その頃には役員が取るべきスタンスが自明であることが多く、その点で楽をできた.これが正しかったかどうかは、分からない.

会計

昨年度に引き続いて、今年度もお金に関する問題は多かった.
会計担当はおそらく、私の知らないところでも多くの問題を解決してくれた.ただし彼は優秀過ぎるので、来年度以降彼の引継ぎ役が見つかるか不安である.

言論

いつも問題が発生したときにDiscordの次に確認しなければいけないメディアはX(Twitter)だった.人は”言及欲”を抑えられないものだ.そのおかげで、状況を把握できたが、一方で悩みの種になることもあった.一時期はそれ自体が問題になってしまったが、対応としては”注意喚起”程度しか出来なかった.
こうした”拡散”に対して、我々は無力である.

解決方法

大抵の問題の解決方法は”対面”で話し合うことだった.これは私が不器用であるという理由もあるが、Discordなどのメッセージやオンライン通話では互いの意図を掴み切れないと感じることが多かったためだ.この解決方法の欠点は”記録”を忘れると大惨事になるということ.

秘密主義

昨年度までの”げんしけん”の運営は、問題が発生したら内密に事を片付け、会員の不安を煽らないようにしようとしていた.しかし、それによって多くの問題が(結果的にではあるが)蓄積してしまい、私の代に交代すると同時にそれらが降り注いできた.では、私は秘密主義から脱却できたかというと……(続きはpixivFANBOXで)

余興

動機

私が会長になった理由は、「副会長をやっていて、他に会長をやりそうな人がいなかった」からだ.おそらく過去の会長らも、同じ理由で就任してきたのだと思う.そこに”会をより良くする”といった動機を持ち合わせていた人はおそらくいないと思う.個人的にはその動機の実体化は、会員の志向とは一致しないと考えている.それは役員と一般会員の視座の違いであり、埋め合わせるのは難しい.

心構え

今年度は、おそらく”げんしけん”史上最も多くの問題が噴出した年であったと思う.12月は地獄であったし、それを乗り越えた後も度々問題は発生した.その度に私は「起きたことは仕方がない」のメンタリティであった.200人も会員がいれば毎月問題が発生しても不思議ではない.他の役員メンバと、この心構えのおかげで私はカミーユみたいにならずに済んだ.

仕事量

私が就任した当初は、12月までに主要な業務をほぼ片づけてしまい、あとは総会の前後だけ動けば済むだろうと考えていた.正直なところ、「そこまで忙しくはならないだろう」と高を括っていた.結果としては、思いのほか忙しかった(厳密には”自分で忙しくしていた”).ただ、会計担当の仕事量よりは少なかったと思う.

良かったこと

私はおそらくだが会長職に着いていなければ、既に”げんしけん”から退会していたと思う.就任したころには既に”他人と好きなものを共有しあう”ことへの欲求はほとんど失われていた.ただ、会長になり、あまり活動にも参加しない中でも、時々合うと面白い話をしてくれるメンバは居た.彼らのおかげで、もう少し会に所属しても良いかなと思えるようになった.(最近はその”共有欲”も湧いてきた気がする)

良くなかったこと

GW、正確にはGWのバイト祭りの後の休暇が、全て失われたこと.
Discordの通知を見て、頭を悩ませる機会が増えたこと.

国家的・政治的

“げんしけん”の運営をしていると、「政治ごっこ」と揶揄されることが時々ある.私は運営方針に関しては何の”べき”信念も持ち合わせていないので、そう言われても困惑することしか出来なかった.しかし、本会の”中央集権的”な体制を鑑みれば、その中で役員が担う意思決定の重さや、運営の透明性・調整力が問われる場面が多いのは事実である.だからこそ、私自身は「政治をしている」というよりも、むしろ会員同士の齟齬を最小化し、活動が円滑に進むよう地ならしをする役割を果たしていたに過ぎない.ただ、その立場が外から見れば”政治的”に映るのだとすれば、それは本会の仕組み上、ある意味では避けがたい側面なのだろう.

さいごに

一年間を振り返ってみると、「会長としての責任を果たしたな」と胸を張って言えるような場面は正直あまり多くない.それでも、気が付けば多くの人に支えられ、なんとか任期を走り切った一年だったように思う.
結局のところ、サークルというのは制度や会則がどうこう以前に、会員が作っているもので、それぞれの立場や感情が絡まり合いながら、気づいたら一年が終わっている.私はその渦の中心に、どういうわけか立ってしまっただけだ.そこで完璧に立ち回れるほど器用ではなかったけれど、少なくともその流れを絶やさずに、次にバトンタッチ出来るだけで良しと思い込むことにした.来年度の役員には、私の良かった部分だけ(あるだろうか?)を拾い、のびのびと運営をしてほしい(悲しいことに、おそらく不可能である).
最後に、会内・会外問わず、たくさんのご協力とご理解のおかげで、任期を終えることができました.
一年間、本当にありがとうございました.
現代視覚文化研究会51期会長 ロマノフ

後日談

適当な項目を並べて書き散らしたせいで、ページ内に余りが生まれてしまったらしいので、埋め合わせに後日談を書こうと思う.現在地は2025年12月9日である.11月19日の秋総会では無事?に新しい会長と役員が誕生した.総会では進行もそこそこ上手くこなし、緊張感の走る場面もあったが、大きな問題も起きずに終わることができた.解放感が凄い.
引継ぎに関しては文書ベースでサクッと済ませた.昨年度まではシステム関連の引継ぎが煩わしかったのだが、どうせ会長がそれらについて知っている必要性は殆どないので、システム担当に一任する形にした.すると、引き継ぐことはサークルの継続届などの大学への提出書類に関することのみとなり、そんなものは「過去の資料を参照してね」の一言で終わる.面倒だと身構えていたことが、思ったより楽に済んだ.
新会長は早速、班長MTを開催したようだ.会議内容の是非は置いておくとして、昨年度私(たち)が始めた制度が今年度も敢行されているのを見ると、少しは意義のあることをしたのかなと思う.
一方で、ここ半年は落ち着きを見せていた会内の班間の軋轢、というよりも一部の会員間の軋轢がまた顕在化してきているようだ.まあこの時期は毎年そうであるので仕方がないのだが、それでも争いの絶えないサークルだなあと、その様子をしみじみ眺めている.私からは余程のことが起きない限り表に出てアクションを起こすことは無いし、その権限も無い.これからは1年生の頃と同じように、気の向いたときに”げんしけん”の好きな部分だけを楽しむスタイルでいこうと思う.
それでは